江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の乳母に由来する坂
以前、渋谷歴史散歩No.11 「笹塚跡」と「旗洗池跡」で、京王線の駅名にもなっている笹塚と幡ヶ谷の地名の由来に関する史跡をご紹介しました。渋谷区内を通る京王線の駅にはもうひとつ、初台駅があります。
▲甲州街道の北側、新国立劇場のそばにある初台駅の出入口です。
やはり駅名にもなっている、この「初台」の地名の由来に関して、渋谷区のホームページには、次のようにあります。(以下、渋谷区公式サイト「地名の由来」より引用)
京王新線初台駅から代々木八幡宮に向うなだらかな坂を、初台坂といいます。
徳川幕府が成立した頃、功臣に土井利勝がいました。
その弟である土井昌勝の妻は、2代将軍徳川秀忠の乳母となり、「初台の局」と呼ばれました。
このあたりは、初台の局が天正19(1591)年、当時の代々木村に二百石の知行地として賜ったところで、晩年ここに隠居したことから、地名が「初台」になったといわれています。
そこで今回は、引用文の冒頭にある「初台坂」に、地名の由来になったという人物、初台局(はつだいのつぼね、以下この表記に統一)に関する史跡などはないか、散歩してみました。
その様子を紹介する前に、ひとこと断っておきたいのですが、「初台」の地名の由来には他にも説があって、中世に江戸城を築いた太田道灌が、代々木の地に狼煙(のろし)などを上げる見張り台となる8ヵ所の砦を築き、そのうち一の砦があった場所が初台と呼ばれるようになったともいいます。
初台坂のようす
それでは、初台坂を歩いてみたいと思います。
▲スタート地点は、京王線初台駅。こちらは甲州街道の南側の出入口になります。
▲駅前は平坦な道となっており、商店街となっています。
▲商店街の街並みがおわっても、しばらくは平坦な道がつづきます。
▲郵便ポストがあるあたりから、少しずつ勾配がある道になります。
▲このあたりから傾斜が急になり、坂道らしくなっています。
▲坂道をずっと下って行くと、外壁がレンガの建物があり、その前には「初台坂下」のバス停があります。
▲坂道を下り終えると、山手通りにぶつかり「初台坂下」の交差点があります。
▲坂下には「初台二丁目交番」があり、左側が歩いてきた初台坂、右側は山手通りの歩道です。
▲ちなみに山手通りにも「初台坂下」という名前のバス停があります。こちらは屋根付きです。
かなり長い道のりを歩いてきたのですが、残念ながら「初台」石碑や説明板など、史跡らしきものは発見できませんでした。
初台局にゆかりあるお寺、正春寺
以上見てきてように、初台坂の道沿いには、とくに初台局に関する史跡などはありませんでした。ところが、初台駅からそれほど離れていない場所に、初台局と縁がある寺院があるとのことですので、訪ねてみることに。
場所は、東京都渋谷区代々木3丁目27−5、甲州街道沿いの「西参道口」と「西新宿3丁目」という交差点の間に位置します。
▲初台駅からだと、甲州街道の南側の歩道を東へ進み、「西参道口」の横断歩道を渡ると、すぐに、お寺の塀が見えてきます。
▲これがそのお寺の入口です。
▲お寺の名前を「正春寺」といいます。
▲お堂の左側、墓地へとつづく道の入口あたりに正春寺に関する説明板が立っています。
ここは簡単にいうと、初台局の孫が開いたお寺、ということになるのですが、せっかくなので、もう少し詳しくみてみましょう。以下、この説明板に依拠しつつ、文献なども参考に初台局と正春寺の関係などについて述べたいと思います。
まずは初台局ですが、彼女は法名を安養院といい、大河内正頼の妹で徳川家臣の土井昌勝の妻となります。そして徳川家康の側室である西郷局(宝台院)に仕え、江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠の乳母となります。その功により天正19年(1591)、代々木村に200石の知行地を賜わります。これによって初台の地名が今に残るわけです。
初台局には梅園局(法名・正春院)という娘がおり、こちらは3代将軍となる家光の乳母となったといいますから、親子2代にわたって将軍さまの乳母をつとめたことになりますね。
それはさておき、その梅園局の子、初台局の孫にあたる人物の正入(俗名・土井昌興)が慶長19年(1614)に江戸湯島に建立された天台宗寺院・専西寺に住します。いっぽう代々木に知行地を賜わった初台局は、老後にそこで隠棲して菩提寺を建てたいと願いますが、新しい寺の建立は許可されませんでした。そこで元和6年(1620)に、この地にも専西寺を建立し、正入が湯島と代々木、2つの専西寺を兼務することになったといいます。
その後、寛永元年(1624)に浄土真宗に改修、上記の3名が亡くなったあとの天和3年(1683)に湯島の専西寺が火災に遭ったため、すべてを代々木の専西寺へ引き移します。そして、元禄5年(1692)に正春院(梅園局)を追慕して寺号を正春院と改めたとのこと。
こうした歴史から、このお寺の名称を「湯嶋山安養院正春寺」というようです。
▲説明板のある場所から、墓地へと向かいます。
▲まっすぐ進んで行くと突き当たるお墓です。
▲その右奥にあるお墓です。
▲これが、初台局の夫である土井昌勝の父親・土井利昌のお墓になります。
▲墓石の向かって左側の面に土井昌勝の名があり、その左に「土井次郎左衛門昌勝室」と刻まれています。これが初台局のことです。
▲さらにその左側に法名が号「安養院」と刻まれていますが、残念ながら「初台」の文字はありませんでした。
そういった意味で、厳密にはこのお寺に初台局のお墓があるわけではないのですが、ご住職の話によると、初台局のお墓を目的として当寺に参拝される方が多いとのことです。じつは記者も最初、お寺を訪ねた際に「初台局のお墓があるとのことで伺いました」と案内を請い、その際に上記のお墓に関してご教示いただきました。
このように、初台坂にも正春寺にも、明確に「初台」と刻み込まれたモニュメントはありませんでした。しかし、正春寺が初台局にとても縁の深いお寺であることはたしかです。もしも初台駅方面に行かれる機会があれば、初台坂ともども、正春寺を訪れてみてください。
【余談】
記事前半でご紹介したように、山手通りにも「初台坂下」という名前のバス停があります。
山手通りには、さらに「初台一丁目東」という交差点の南、歩道橋の北側のあたりに「初台坂上」という名前のバス停があるのですが、これら屋根付きのバス停がある大きな道路は初台坂ではなく、あくまでも山手通りですのでお間違いなく。
【参考文献】
『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11)名著出版、1978
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド13)学生社、1992
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。