青山キラー通りとも呼ばれる外苑西通りから1本外れた通りには、「勢揃坂(せいぞろいざか)」という名前の古道があります。いったい、何が勢揃いしたというのでしょうか?
青山キラー通りに交わる道の先、旧鎌倉街道の坂
▲外苑西通り(青山キラー通り)「原宿団地北」交差点を渡ると、黄色い建物が目立つ通りがあり、この道をずっと歩いていけば、勢揃坂までたどり着くことができます。
▲このような通りです。
その通りを先に進むと、右に「青山熊野神社」がある十字路があります。
▲せっかくなので参拝。社殿が真新しい印象を受けました。
▲寄り道せずに十字路をまっすぐ進むと、街灯に「旧鎌倉街道」の文字が。この通りは、昔の鎌倉道のひとつと考えられています。
▲その隣の街灯には、ようやく目的の坂道、「勢揃坂」の文字が!
いよいよ坂をくだりはじめます。すると、電柱の横に渋谷区教育委員会の説明板を発見!
八幡太郎義家が軍勢を揃えた場所
この説明板を読んでみます。ちなみに、ここの住所は神宮前2丁目2番とのこと。
▲この説明板プラスいろんな文献によると、「勢揃坂」の名前の由来は、永保3年(1083)、渋谷城に滞留した八幡太郎こと源義家が奥州征伐に向かうとき、ここで軍勢を揃えて出陣したことに基づくとされています。
このとき従軍した者のなかに、坂東八平氏のひとりで渋谷の領主となる河崎重家がいたとのこと。この重家に関しては、彼が渋谷氏を名乗るようになったことが渋谷の地名の由来である、という説があることを「渋谷坂散歩 No.8 八幡坂(金王八幡神社前) 『渋谷』の歴史の発祥地 その1」で紹介しておりますので、そちらをご参考ください。
ただし、そもそも『豊多摩郡誌』には、坂道自体がここではなく、もう少し東南のあたりの青山往還に通じる場所にあったという説もあり、はたして本当にここに多くの武士たちが勢揃いしたかどうかはわかりません。しかしながら、このエピソードは渋谷区内に残る源氏伝説として注目されており、別名「源氏坂」と呼ばれることもあるとか。
また、「渋谷歴史散歩No.9 『原宿発祥の地』と妙円寺」の記事で、「原宿」の語源に関連して、源義家が妙円寺付近を通ったという伝説についてふれましたが、そのことの裏付けとして紹介されることもあるようです。
▲説明板にもゆるい勾配とありましたが、坂の傾斜はこんな感じです。
▲この坂に面している国学院高等学校の校門にも、坂の名前が採用されています。
平安時代末期、中世の時代に源氏の棟梁のもとに多くの武士たちが馳せ参じ、勢揃いしたとされる地にある坂。ものものしく集まった武士たちの姿を想像しながら、ぜひ散歩してみてください。
【参考文献】
『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11、名著出版、1978)
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド、学生社、1992)
『江戸東京坂道事典』(新人物往来社、2003)
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。