都心である渋谷にも古墳が残っているとのことで、東急東横線・代官山駅の近くにあるヒルサイドテラスにやって参りました。
渋谷に残る古墳と古代人の呪い?
旧山手通りに面する代官山ヒルサイドテラスの敷地内に、渋谷に現存する古墳であり区指定史跡(文化財)でもある「猿楽塚(さるがくづか)」と、その上に鎮座する「猿楽神社」があります。
▲より具体的に言うと、ヒルサイドテラスのC・D・E棟の建物に囲まれる形で鬱蒼とした小さな森があり、山手通りの歩道からもその様子が伺えます。
▲鳥居の前に渋谷区教育委員会の設置した説明板があります。
若干補足して説明すると、猿楽塚は6~7世紀の円墳とされ、基底部の直径約20メートル、高さ約5メートルとのことですが、発掘調査がおこなわれていないため、詳しいことはわかっていません。
また江戸時代の書物は、むかし源頼朝がこの地で猿楽(申楽)を開催し、そのときの道具を埋めたという伝説があるが、疑わしいとしています。また、渋谷の長者がこのあたりで近隣住民と宴を催して楽しんだことから「我が苦を去る」という意味で「去我苦塚」という別称があることが記述されています。
▲いずれにせよ、この猿楽塚がこのあたりの町名「猿楽」の由来となっています。
▲さて、猿楽塚の上にはお社が建っています。猿楽神社です。
▲質素なつくりの鳥居をくぐると、朝倉徳道氏の撰による猿楽神社縁起の説明板があります。
▲これによると、ご祭神は天照皇大神、素戔嗚尊、猿楽大明神、水神、笠森稲荷とのことです。神社が建立されたのは、大正とのことですが、そのことに関しておもしろい話がありますので、詳しく紹介したいと思います。
当時、ここは朝倉家の敷地でした。朝倉氏は戦国時代の甲斐の武田氏の家臣からつづくとされる旧家で、また朝倉虎治郎という人物は戦前に東京府会議員を、さらに渋谷区の最初の区会議長を務め、まさに名門といった家柄です。大正9年にその朝倉家の庭園をつくる際に4基あった塚のうち1つを壊したところ、虎治郎と工事した棟梁とが原因不明の病にかかったといいます。
そこで、その塚から出てきた人骨らしきもの、武具などを丁重に供養して、そこにお社を建てて「猿楽様」として祀ったとのことです。
なにやらツタンカーメンのファラオの呪いを彷彿とさせますが、これは虎治郎の孫であり猿楽神社縁起の説明板を立てた朝倉徳道氏が、その叔母の話として語ったものです。
境内の範囲は、冒頭で述べた猿楽塚の基底部である直径約20メートルの円ということになるかと思われますが、その中に実にさまざまなものがあります。せっかくなので、ひととおり探索してみます。
▲鳥居から入って左へと続く、石畳の道。
▲なかなか立派な石灯籠です。
▲ここからいったん境内の外に。周囲をぐるりと回ってみたいと思います。
▲ご神木というわけではないですが、かなり立派なケヤキの木。
▲猿楽塚の裏側。通路をはさんですぐにヒルサイドテラスの洒落た建物のショーウィンドウがあります。
▲再び正面に。鳥居の前には、ちゃんと御手水も。
▲身を清めたあとに鳥居をくぐっって、きちんと参拝したいと思います。
▲右に螺旋をえがく階段を登っていきます。
▲昇りおえて目に入ってくるのは絵馬かけ。
▲そして拝殿です。
▲額をのぞんで、二礼二拍手一礼、と。
▲拝殿の隣には石造りの小祠も。
▲さらに、その左には題目の書かれた石碑。当初は、お経をあげて神仏混淆でお祀りしていたとのこと。
いまや、きちんとお祀りされているお蔭でしょうか、奇病にかかるどころか心身ともにリフレッシュできました。この神社もまた、まさに都会のオアシスです。
代官山の近くに来られた方は、ぜひ代官山ヒルサイドテラスにある猿楽塚をのぼり、猿楽神社をお参りしてみてください。
【余談】
本稿で紹介した朝倉家の邸宅なのですが、大正時代の建築様式を残す重要文化財「旧朝倉家住宅」として現存しています(東京都渋谷区猿楽町29―20)。
大人でも100円払えば、邸宅と庭園を見学することができます。
代官山ヒルサイドテラスのC棟とE棟の間に、なにやら竹が組まれて侵入禁止になっている場所があったのですが、おそらくここも「旧朝倉家住宅」の敷地につづいているものと思われます。ただし、見学する際はここからでなく、正門でちゃんと入場料を払ってからお入りください!
【参考文献】
『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11、名著出版、1978)
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド、学生社、1992)
『渋谷学叢書2 歴史のなかの渋谷』(國學院大學 研究開発センター渋谷学研究会、雄山閣、2013)
『渋谷学叢書3 渋谷の神々』(國學院大學 研究開発センター渋谷学研究会、雄山閣、2011)
『渋谷むかし口語り』(渋谷区教育委員会、2003)
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。