代々木公園に程近い山手通りを初台へ向かって歩いて行くと、右手に不思議な公衆トイレが。その背景にはこんもりとした森。まるで古代の森に生えた巨大なキノコのよう。。ふと見上げると、そこは代々木八幡宮でした。何度も通っているけれど、寄ったことがあったかしら・・・。寄り道しようと決めました。
森に踏み入る
雨上がりの森は黒光りしていて、厳かな雰囲気。やっと雨が止んだ、と喜ぶように蝉がジュワジュワ鳴いています。石段を登って鳥居をくぐると、緩やかに左にカーブする石畳が来訪者を神社の奥へ奥へと誘うように続いていました。奥へ歩みを進めるほど、しっとりまとわりつくような空気がひんやりと感じられてきます。背の高い木々が光を遮っているからでしょう。上を見上げると、枝葉の間から少し青空がのぞいていました。
本殿はどこにあるかしら・・・と思いながら進んでいくと、脇に小道があります。小道の先にもなにやらある様子。本殿の参拝は後回しにして小道の先を探索しに行きました。
するとそこには庚申塔。その先にはお地蔵さま。庚申塔は道教の象徴ですし、お地蔵さまは仏教の菩薩さまでしたっけ。。どうやらこの小高い森はさまざまな宗教が集合した場所のようです。中沢新一さんの『アースダイバー』を思い出しました。きっと、地形的にも古くから残る場所なのでしょう。狭い敷地に所狭しと並ぶ宗教のシンボルが、喧嘩もせずに並んでいる様子がなんだか8月の日本に平和を訴えているようにも感じたのでした。
縄文時代にまで遡る土地
さて、改めて、代々木八幡の本殿へ向かいます。鬱蒼と繁る森の先に見える鳥居と本殿。この頃には日差しが強くなってきて、明るく照らされた本殿がより神秘的に輝いて見えました。
さあ参拝だ、と、神々しい本殿に向かったのですが、またまた左右に気になるものが。右手には、福泉寺の文字。ああ、ここが先ほどのお地蔵さまがいらっしゃったお寺の入り口なのかあ、と近づくとサンスクリット語の看板も。。全く読めませんでした。その後調べてみたのですが、全くわからず。なんと書いてあるかご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただきたいです。
庚申塔にお地蔵さまにサンスクリット語・・・目の前に積み重なる歴史に驚きながら今度は参道の左手に目を向けると、なんとそこには縄文時代の竪穴式住居がありました。一瞬、目を疑いました。
代々木八幡宮がこの場所に建立されたのは鎌倉時代(代々木八幡宮ホームページより)なのだそうです。鎌倉時代と言えば今から900年ほど前。縄文時代は今から今から13000年くらい前から2300年くらい前まで続いたとされる時代。古い。とても古い。遺跡横の看板の案内には「この場所は幡ヶ谷丘陵の南方に突き出した半島の端で、海の退きはじめた沼のようなところに面し、背後にはカシやナラの森が広がっていた」との記載がありました。
ここは、半島だった。
海が近くにある沼地の傍。
想像するだけで、足の裏から何か悠久の時間が流れ込んでくるような気がしました。海の近くで、きっと食べ物に困らない豊かな場所だったのでしょう。そこで、土器を作り、煮炊きし、立派な屋根を葺いた家を作っていた人たちの生活の上に、お社が立ち、仏教や道教もそこに寄り添って存在している。代々木八幡宮はまるで、古代から続く博物館のような場所でした。
あ、このあと無事、参拝にも辿り着きましたよ。
渋谷の地形に潜む歴史
シブヤ散歩新聞では、折りしも高校生ライターのたいちさんが「渋谷リバーサイド散歩」と銘打って渋谷の暗渠を巡る旅を前後編にわたって綴ってくださっていたところ。ふらふら歩く散歩道で見かけた巨大なキノコ公衆トイレに誘われて入った代々木八幡宮も、空を覆われた川が形作る地形と切っても切り離せない歴史を抱えておりました。
背景を調べるために検索したウェブの世界には、この地形に魅せられて渋谷周辺を散策した記録がたくさん残されています。ぜひみなさんも、「渋谷・地形・散歩」というキーワードで検索してみてください。きっと夏の名残りのこの季節に、渋谷を歩いてみたくなりますよ。そうそう、まだまだ暑いので、散歩の際は水分補給を忘れずにお願いしますね。
得原藍(えはら・あい)
理学療法士/一般社団法人 School of Movement ディレクター。ISIS編集学校師範代。子育てをしながら運動科学の専門家として、身体と環境と生活の関係を考える日々を送る。
たのしいマイニチのために人生編集中。
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