「渋谷歴史散歩 No.3 渋谷氷川神社その1」の【余談】で紹介した「常盤松(ときわまつ)」と「常盤松の碑」ですが、せっかくなので稿を改めて詳しく紹介したいと思います。
源義朝の側室・常盤御前が植えたとされる伝説に「異議あり!」
繰り返しになりますが、「常盤松の碑」は白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の向かいあたりの歩道にあります(東京都渋谷区東4丁目9―1)。
氷川神社や明治通りがある方から来ると、季節がらか手前にある木が茂っていて、ちょっとわかりにくいのですが、ちょうど道がやや傾斜して下り坂になりはじめる場所です。
ちなみに、ここに来る途中、国学院大学図書館前あたりに、なぞの狛犬(?)を発見したのですが、これはかつての氷川神社の境内にあったものでしょうか?
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 江戸名所図会7巻.[8]コマ番号30(JPEG表示)(*1)
「常盤松」は、氷川神社の神域にあった名木です。これも繰り返しになりますが、『江戸名所図会』の「渋谷 氷川明神社」の絵に「神木」として描かれている木がそうだとされています。
伝説では、源義朝の側室である常盤御前(ときわごぜん)が植えたとされていて、また次のような和歌を詠み色紙にしたため、その枝にかけたといわれています。
わがきみの こゝろのまゝに ゆくすえも ときわの松の はなにこそみめ
一説によると、この歌は義朝が常盤御前を想って詠ったものともされています。源義朝は京の都で平清盛と覇を競った源氏の棟梁で、鎌倉幕府を築いた源頼朝の父親です。
常盤御前は、頼朝の母親ではありませんが、有名な牛若丸こと源義経の母親で、義朝の死後は公家の一条長成に嫁ぐことになります。『平家物語』などの軍記物語では平清盛に請われて妾になったともされていますが、史実は不明です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション「渋谷金王丸昌俊早打之図」コマ番号1(JPEG表示100%)(*2)
ちなみに常盤御前は、義朝が謀殺されたときに金王丸が真っ先にそのことを報告した人物でもあり、江戸時代の錦絵などにそのときの様子が描かれています。
ただし、同名の別人が植えたという異説もあります。
江戸幕府が編集した『新編武蔵風土記稿』によると、そもそも常盤御前がこのあたりに来たという記録がなく、永禄(1558~1570)の頃の世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤が植えたものであり、常盤御前が有名だったので誤って伝えられたのだろうとのことです。
はたしてどちらが本当なのかは判じかねますが、もし異説が正しいのだとすれば、渋谷が義朝の側近である金王丸の根拠地であるため生まれた伝説なのかもしれません。
いずれにせよ、幕末のころ、このあたりは薩摩藩島津家の下屋敷であり、その庭園に「常盤松」と呼ばれてきた名木があり、それは金額にして1千両にあたいするとさえいわれました。
そこで島津家の家臣が常盤御前にゆかりがあるとの言い伝えを後世に残すため、この石碑を建立したとのことです。
ちなみに、石碑には篆書(てんしょ)と思われる文字で漢文が刻まれており、自分には解読不可能だったのですが、上述した義朝や常盤御前のプロフィールや、常盤松にまつわる伝説が書かれているのだとか。
そして、末尾には嘉永6年6月12日(1853年7月17日)という日付があります。調べてみると、これは黒船艦隊を率いて浦賀に来航したペリーが江戸幕府との交渉の末に、再度の来日を約定して退去した日になります。
つまり、日本の変革期の始まりともいうべき大事件が起こっているまさにそのとき、この碑文が書かれていたということになります。
また、左側に立っている渋谷区教育委員会の説明板によると、この一帯は皇室の御料乳牛場だったとか。
ということは、かつては渋谷の地でも牛さんがモーモー鳴いていた?しかも、その牛が出すお乳を天皇家がお召しになっていた!?
それはさておき、常盤松はこのあたりの地名にもなりました。昭和のころに一字違いの「常“磐”松」と改められ、それで、「さくら横ちょう」の作者である加藤周一が通っていた学校の名前が「常磐松」小学校だったりするわけです。
もっとも、その「常磐松」も、いまは地番として使われていません。冒頭で紹介した住所からもわかるとおり、渋谷区東(ひがし)となっています。
さて、まことに残念なことに、明治になってから松の木は枯れてしまい、さらに第2次世界大戦で焼失してしまったので、樹齢400年を誇ったという松の大木をみることはできません。
しかし、その後あらたに植えられた「常盤松」が記念碑の隣にあります。今はまだ小ぶりなこの木ですが、いつの日か先代の「常盤松」に負けないくらい立派な松の名木に育ってほしいものです。
【余談】
「常盤松の碑」を見終わったあと、ふと後ろを振り返ると、そこにも松の木がすっくと立っています。
近づいてみると、やはり渋谷区教育委員会の標識板があり、この説明によると「白松(はくしょう、しろまつ)」とのことです。たしかによく見ると、幹が白いですね。
全国的に稀少なものとのことですので、「常盤松の碑」まで散歩に行かれたかたは、ぜひこちらもご覧ください。
【註】
*1.写真は「国立国会図書館デジタルコレクション」のアーカイブ「江戸名所図会7巻.[8]」にある画像を加工したものです。
*2.写真は「国立国会図書館デジタルコレクション」のアーカイブ「渋谷金王丸昌俊早打之図」(『豊国国芳東錦絵』)にある画像を加工したものです。
【参考文献】
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド13、学生社、1992)
『渋谷むかし口語り』(渋谷区教育委員会、2003)
【参照URL】
「国立国会図書館デジタルコレクション」http://dl.ndl.go.jp
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。