前回、鎮守の森としてご紹介した渋谷氷川神社ですが、境内にはそれ以外にもいろんな見どころがあります。今回はそれを見てまわりましょう。
「金王相撲」の土俵と、境内にある謎の石?
北口(*1)からの鳥居をくぐると、右手に標識が立っています。
これは渋谷区教育委員会による「金王相撲(こんのうずもう)跡」の説明板。どうやら、ここは江戸時代の村人たちにとってレクリエーションの場だったようです。
渋谷氷川神社の「金王相撲」は、大井鹿島神社、世田谷宮坂八幡神社の相撲とともに「江戸郊外三大相撲」の一つとして有名でした。氷川神社の祭日である9月29日に奉納相撲にくわえて素人相撲があり、力自慢の村人が取り組みに参加し、子ども相撲大会も開催されてきました。起源については不明なのですが、名称は金王丸にあやかったものだと思われます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 江戸名所図会7巻.[8]コマ番号30(JPEG表示)(*2)
少なくとも江戸時代には興行が行われていたようで、『江戸名所図会』の「渋谷 氷川明神社」の絵にも「土俵」が描かれています。江戸時代に地元の旧家で記録された『野崎家史料』には、祭日は近郷だけでなく江戸の町からも見物人がやってきたとのことで、さらに、凶作の年に中止しようとした時もおのずと人が集まったので、結局興行することになった、というおもしろいエピソードも。また、江戸幕府の将軍も「渋谷の相撲なら見に行こう」と言ったとか。
一時は周囲の石垣が崩れるなど荒廃していたものの新たに造り直されました。なんでも、江戸時代から今に伝わる東京の相撲場としては唯一のものだとか。
ただし、土俵はふだんは立入禁止になっており、ここで相撲がとれるわけではありませんので、ご注意ください。
現在、この土俵がある一画は「氷川の杜公園」となっています。なお、最近では例大祭は9月半ばにおこなわれているようです。
さて、せっかくなので境内にある他の史跡なども見てまわりましょう。
社殿へとつづく石段の左手、竹林のなかに乃木希典の書になる「明治三十七、八年戦役紀念碑」、つまり日露戦争の記念碑が建っています。地元の消防組が建立したものとのことで、基礎部分には「一番組」と書かれています。
記念碑の左下のあたりには「守武萬(万)代石」と刻まれた石もあります。江戸幕府が編集した地誌『新編武蔵風土記稿』の「常盤松」に関する記述の最後には「此樹下ニ萬代石ト刻シタル石アリ浪人斎藤定易建ル所ニテ九十年程ニ及フ其子孫今松平備前守藩士ナリ」(*3)と記されています。この史料の刊行が文化7~文政11年(1810~1828)なので、その90年ほど前の18世紀前半に浪人の斎藤定易なる者が建てたということになります。しかしながら、その理由・目的は不明です。文字の意味から察するに、武運長久の願掛けではないかとは思うのですが、そもそも正確な読み方もわかりません。一種の歴史ミステリー?
出典:国立国会図書館デジタルコレクション 江戸名所図会7巻.[8]コマ番号30(JPEG表示)(*4)
ちなみに、これも『江戸名所図会』をチェック。たしかに「神木」とされた常盤松の下に「守武萬代石」がありますね。
拝殿へと至る石段の両側には立派な狛犬が。こちらは右側にある「阿吽(あうん)」の「吽(うん)」の像。
鳥居をくぐって、さあ参拝しましょう。
と、その前に御手洗へ。この御水屋は、実業家の川島康資氏が昭和39年(1964)に寄進したものです。
では、あらためまして。二礼二拍手一礼。
渋谷氷川神社にはいくつか境内社があります。そのうち本殿の向かい側には、稲荷神社と厳島神社が並んでいます。
その稲荷神社の前、足元には何やらとても小さな石像が。このおチビちゃんは、お稲荷さまでしょうか?それとも狛犬?
正面口(*5)にある石造りの鳥居に掲げてある額。すこし欠けていますが、これがかえって古い由緒を感じさせます。
正面口の鳥居の外、参道の両側にはかつての鳥居の趾が。
渋谷氷川神社の正面からの様子はこんな感じです。
境内の外に出て、明治通りに向かうと、道の両側にこんなものが。「ここは昔から神社の参道」と書かれているようです。
次に来るときは、明治通りからの参道を通って、ちゃんと正面からお参りしたいと思います。
このように、現在でも広い境内をもち見どころ満載の渋谷氷川神社ですが、昔はもっと広大で、江戸時代に奉行所から下された図面や朱印状によると6840坪もの敷地があったとのこと。その頃の境内も散歩してみたかったですね。
【余談】
今回紹介した氷川神社の御水屋を寄進した川島康資氏なのですが、かなりの篤志家だったらしく、近所にある吸江寺の鐘楼と明治神宮の大鳥居も奉納したとのことです。
吸江寺は氷川神社の北東の位置、国学院大学の学舎と図書館を結ぶ回廊の下をくぐるとすぐ右にあります(東京都渋谷区東4丁目10−33)。
鐘楼の土台の石垣にはレリーフがあり、氷川神社の御水屋と同じく昭和39年に奉納されたことがわかります。こちらもぜひチェックしてみてください。
【註】
*1.「北口」は、渋谷氷川神社の案内図などに記されているわけではなく、筆者による便宜上の呼称です。
*2. 写真は「国立国会図書館デジタルコレクション」のアーカイブ「江戸名所図会7巻.[8]」にある画像を加工したものです。
*3.『新編武蔵風土記稿 東京都区部編 第1巻』p.71より。
*4. *2に同じ。
*5.「正面口」も *1.「北口」に同じ。
【参考文献】
『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11、名著出版、1978)
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド13、学生社、1992)
『渋谷学叢書3 渋谷の神々』(國學院大學 研究開発センター渋谷学研究会、雄山閣、2011)
『渋谷むかし口語り』(渋谷区教育委員会、2003)
【参照URL】
「国立国会図書館デジタルコレクション」http://dl.ndl.go.jp
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。