こんにちは!高校生ライターのたいちです。
国土地理院のサイトには、下の写真のような渋谷の地図があります。緑と黄色の色分けは何だと思いますか?実はこれ、渋谷の標高を色で表している地図なのです。
(引用:https://www.gsi.go.jp/common/000061701.pdf)
地図を見るとわかるように、渋谷はまさにすり鉢状の「谷」の地形であり、谷底にある渋谷駅の周りには渋谷川が流れています。「あれ?渋谷駅の周りに川なんてあったかな?」と思うかもしれません。それもそのはず、暗渠化されている部分が多く、ふだん僕たちの目に触れることはあまりありません。そんな隠れた川筋をたどってみたい!と思い、実際に歩いてみることにしました。
渋谷川の「橋」に注目する
川筋を歩くにあたって僕が注目したのが「橋」です。橋の名前が地名に残っている場所が、渋谷にはいくつかあります。そこで、「橋」をたどって歩いてみることにしました。
スタートは天現寺橋
地下鉄広尾駅をでて徒歩2分、天現寺橋からスタートです。このあたりは暗渠化しておらず、実際に川の姿を目にすることができます。渋谷川が流れているのは天現寺橋交差点そば。大通りに面したビルの裏手をひっそりと流れています。
ここからしばらくのあいだ、川に並行する明治通り沿いを進んでいきます。
明治通りは街路樹が植わっており、とても気持ちのいい通りです。取材日は7月の猛暑日でしたが、あふれるような緑に、視覚的には暑さを忘れて歩くことができました。
恵比寿にあるのに「渋谷橋」?
明治通りを進むこと10分。「恵比寿橋」に到着しました。どうやら恵比寿エリアに入ったようです。さらに進むと明治通りと駒沢通りが交差する交差点「渋谷橋交差点」が見えてきました。そのすぐそばには「渋谷橋」もあります。
ここで僕はふと疑問を感じました。
渋谷橋交差点の歩道橋に登ってみると、山手線の線路とJR恵比寿駅が見えます。
恵比寿駅に近い方が「渋谷橋」、遠い方が「恵比寿橋」なのはなぜだろう?
気になって調べてみると、そこには渋谷の街の歴史が深く関わっていたのです。
もともと三田村の一角だった恵比寿の地が「恵比寿」と呼ばれるようになったのは1900年頃のこと。当時の日本麦酒醸造會社(現在のサッポロビール)の商品である「エビスビール」の工場がちょうど今の恵比寿ガーデンプレイスのあたりにあったことから、ここ一帯が「恵比寿」と呼ばれることになりました。そして、特にこの恵比寿橋はビールの搬出経路として使われており、現在も、恵比寿橋とガーデンプレイスを結ぶ坂に「ビール坂」という名前が残っています。
もう一つの渋谷橋にも歴史があります。
渋谷駅の周辺には、かつて農村地帯が広がっていました。明治期になり、徐々に町場ができていきましたが、最初にできた町場は、天現寺橋から渋谷駅にかけて、現在の恵比寿・広尾エリアが中心となっていたのです。そのため、当時の渋谷の町場の入口に掛かる橋という意味で、「渋谷橋」という名がつけられました。
渋谷橋を出ると、明治通り沿いにもすっかり大きな建物が増えてきました。この通りを走っているのが、都営バスの[都06]系統です。この路線は渋谷駅から浜松町、新橋まで走る路線ですが、途中の停留所に注目してみたいと思います。
・並木橋
・渋谷橋
・恵比寿橋
・天現寺橋
・四ノ橋
・古川橋
・三ノ橋
・二ノ橋
・麻布十番駅前[一の橋]
・中ノ橋
・赤羽橋駅前
・芝園橋
・金杉橋
多くの停留所が、渋谷川にかかる橋の名前をとっています。ずらっと並ぶ橋の名前をたどるだけでも、街を流れる渋谷川の流れを感じることができます。
明治通りを歩くこと10分強、並木橋にやってきました。ここは、「渋谷鉄道散歩」Vol.1の記事で紹介した「渋谷リバーストリート」上にあり、隣には同じく第1回で訪れた「旧並木橋駅跡」がありました。3年前の取材のことを思い出し、しばし懐かしさにひたります。
たいち
都内に住む高校生。渋谷では、買い物をしたり友達と会ったりしています。小さい頃から鉄道が好きで、今は、都市や交通について自主的に研究しています。鉄道の他には自転車や、路線バスも好きです。(移動が好きということかもしれません)。