今回は道玄坂付近のあれこれを紹介したいと思います。
道玄坂下のSHIBUYA 109の脇に何やら不思議な物体を発見。 大きな卵に小さな卵をのっけたような石像です。これは「時の化石」という名前で、彫刻家の大木達美氏が平成3(1991)年に設置したもの。デザインが特徴的なため、待ち合わせ場所としても使われているようです。
109の裏、ヤマダ電機LABI渋谷店の脇には「恋文横丁此処にありき」と書かれた標柱がひっそりと建っています。 朝鮮戦争勃発時、米兵相手に商売をする女性たち向けの代筆・代読業の店があり、それをもとに丹羽文雄が昭和28年(1953)から朝日新聞に連載した小説『恋文』で有名となりました。のちに松竹で田中絹代の監督第一作として映画化もされました。 でも僕は、小説を読んだことも、映画を見たこともありません(丹羽先生、田中両先生、ゴメンナサイ)。
本道に戻り、通りを反対側に渡って大和田横丁に入ると、東京新詩社跡の標柱があります。 明治34年(1901)4月、東京新詩社を創立して短歌の革新を唱える歌人・与謝野鉄幹が麹町よりこの地に移り住み、機関誌『明星』を12号から再刊します。そして同年6月に、のちに鉄幹と結婚することになる晶子が堺から単身上京してきます。彼女の代表作である歌集『みだれ髪』が刊行されたのもこの地です。
ここで、道玄坂上へとワープ! そこには与謝野晶子の歌碑があり、晶子本人の筆跡により「母遠うて瞳したしき西の山 相模か知らず雨雲かゝる」と刻まれています。この歌は晶子が上京してまもない頃に詠んだもので、相州の山々を眺めて、さらにその先にある遠い故郷の堺の生家と母を偲んで詠ったものとのこと。 なんともノスタルジーを感じさせる歌です。
再び東京新詩社跡。 家は前年できた東京憲兵第二分隊渋谷村分遣所の幹部宿舎を借り受けたもので、「憲兵隊裏」と呼ばれたそうです。 通りの先には渋谷マークシティとセルリアンタワーを望み、両側が飲食店で繁盛している現在の街並みからは想像もつきませんが、当時は家の周りに栗の木がたくさん生えており、朝に栗拾いをしたこともあったとか。
その後、二人は2回この付近に転居し、明治37(1904)年11月に千駄ヶ谷に移り住むことになります。この地を去ったのは、晶子が有名な「君死にたまふこと勿れ」を発表したため人々の非難を浴び、投石などを受けるようになったことが原因ではないかとも言われています。もしそうなら、文字通り石もて追われるかたちで渋谷から去ったことになります。ああ無情……。 ちなみに、そもそも鉄幹が渋谷に引っ越してきた理由について、表向きは静謐な環境を求めてとされているが、先妻滝野の実家からの仕送りがなくなり、お屋敷街の麹町には住めなくなったのが実情、という裏話があります。レ・ミゼラブル……。 閑話休題。
さて、道玄坂の坂道を上って行くと、右手に何やら巨大なアーチが……。 これは「百軒店」の入口です。関東大震災後、渋谷は比較的被害が小さかったため、箱根土地会社が被災した下町から有名店を招き総合的な商店街開発を進め、第二の浅草を目標に「百軒店」を誕生させました。ただ、下町が復興するにつれて老舗はつぎつぎと去ってしまったようです。
百軒店のなかには千代田稲荷神社があります。以前は道玄坂とは渋谷川を挟んで反対側の坂道である宮益坂の御嶽神社の隣にあったのを、上述した再開発の際に商店街の中心としてこちらに移したものです。
「渋谷なのに、なぜに千代田稲荷?」と疑問を抱きつつ由緒を調査。 以下、ウンチク。もともとは長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築城した際に守護神として伏見稲荷の分霊を勧請したことが始まり。徳川家康入城後は江戸城内の紅葉山に移された。さらに慶長7年(1602)、城地の拡張工事に伴い渋谷の宮益坂に移り、このとき江戸城の別名「千代田城」から「千代田稲荷」と改称された。以上、ウンチク終わり。なるほど、それで“千代田”稲荷なのか、と納得。それにしても、伏見からこのかた、ずいぶんと引っ越しの多い神様ですね(そういえば、与謝野夫妻も……)。
賽銭箱の横の、観光地でよく見かけるこれ。周囲がホテル街なので観光客よりはカップル向けかと思われますが、千代田稲荷には次のようなエピソードがあります。 なんでも幕末期の公武合体政策により孝明天皇の皇妹・和宮親子内親王が第14代将軍・徳川家茂に降嫁された際、稲荷の眷属が江戸に下る皇女・和宮の道中を守護したとか。このお稲荷様が天皇家と将軍家との間を取り持ったのだと考えれば、これが拝殿のそばにあるのも、なんとなく頷けます。
せっかくのなので円山町界隈を歩いてみることに。すると、料亭の一角に「道玄坂地蔵」なるお地蔵様を発見。
右側にある由緒書によると、300年の歴史があり、玉川街道と大山街道を結ぶ三十三番霊所の第一番で、もとは豊沢地蔵と呼ばれていたとか。あとで調べたところ、宝永3年(1706)のもので、多摩川三十六地蔵の一つとして縁日が多いに賑わったそうです。
由緒の後半、2度の火災に遭って焼け崩れた本体をこの地蔵の中に固めて上をきれいに化粧してある、という記述があります。 お地蔵様の御尊顔をよくよく拝し奉ると、口元が紅をつけたように赤くなっています。まさか本当にお化粧をしているのでしょうか? ちょっと横道にそれる。ちょっと裏通りを歩いてみる。 ただそれだけで、そこには我々の知らないシブヤがあります。
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10/9(日)は散歩の日!シブヤ散歩フェス2016@渋谷ヒカリエ
10/9(日)は、て(10)く(9)てく歩く「散歩の日」を記念して、
“シブヤ散歩フェス2016”を開催します。
散歩で見つけた美味しいパンやお土産の紹介に加え、
シブヤの〇〇な魅力を発掘する「〇〇散歩」公開ブレストや、
シブヤ経済新聞の西樹編集長によるトークセッションも開催。
パンとお土産の試食もたくさん用意しています。
【イベント企画内容】※一部調整中
1.シブヤぱん散歩&シブヤお土産散歩(展示・紹介&試食)
会場内に展示スペースを設け、シブヤ散歩の魅力の一例として、渋谷の美味しいパンとお土産を紹介します。一部商品については試食も。
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(パン)ガーデンハウスクラフツ、ファミーユ、メゾンイチ、ル・コルドンブルー、DAIKANYAMA LOTUS、シェ・リュイ
(お土産)ハチ公ソース、ふるや古賀音庵、原宿焼きショコラ、代官山スィートポテト、OKURA焼き、東横ハチ公(クッキー2種、おかき、プールミッシュ、カステラ饅頭、どら焼き、にくきゅうパン)
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2.シブヤ○○散歩プレゼン&公開ブレスト
「シブヤ○○散歩」と題して、シブヤの様々な散歩を提案するプレゼンテーションを実施します。
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(1)シブヤ「ぱん」散歩
(2)シブヤ「ビール」散歩
(3)シブヤ「餃子」散歩 etc
その他、シブヤ散歩新聞ライター陣及び参加者を交えた公開ブレストを行い、新たな「シブヤ○○散歩」を発掘します。
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3.シブヤ散歩トークセッション
シブヤ経済新聞の西編集長をはじめ、「シブヤ」「散歩」にまつわるゲストによるトークセッション。
【イベント概要】
2016年10月 9日(日)
12:00〜16:00
http://www.hikarie8.com/court/2016/09/1092016.shtml
渋谷ヒカリエ 8/
東京都渋谷区渋谷2丁目21−1 8F
東急東横線・田園都市線、東京メトロ副都心線「渋谷駅」15番出口直結
JR線、東京メトロ銀座線、京王井の頭線「渋谷駅」と2F連絡通路で直結
入場無料・事前申込不要
主催/シブヤ散歩会議(東京商工会議所渋谷支部)
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。
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