かつて渋谷の地に仙人がいたとの情報をキャッチし、京王井の頭線・神泉駅に降り立ちました。
神泉と鉢山の地名の由来に仙人あり
神泉駅の南口を出てから坂道を下りて右折すると、ローソンの看板下に「弘法大師 右神泉湯道」と刻まれた石碑が立っています。
かつてこのあたりにあった「弘法湯」の石碑です。「弘法湯」は江戸時代から旧上豊沢村の共同浴場であり、明治18年(1885)に佐藤豊蔵氏が経営権を譲り受けたことで本格的なお風呂屋さんになります。明治18年は渋谷駅が開業した年でもあり、山手線を利用して世田谷にある森厳寺の淡島明神富士灸へ往来する人たちの間で、灸のあと弘法湯に入ると効果が増すと有名になり繁盛します。のちに「神泉館」という旅館兼料亭ができ、それが円山町一帯が渋谷の花街として発展するきっかけとなったとのことです。
そもそも、このあたりの湧き水は昔から「神泉」と呼ばれ、「注連ヶ井(しめがい)」とか「姫ヶ井(ひめがい)」という、汲んでも汲んでも水が尽きない井戸があったといいます。そうした豊富な水を利用して浴場ができたわけです。「神泉」という地名は、江戸時代の書物によると、空鉢仙人または享鉢仙人なる者がその水を用いて不老不死の薬を作っていたことに由来するとのこと。それで、この地を「神泉谷(しんせんがやつ)」とも呼んでいたとか。
かたや「弘法湯」という名前の由来は、一説には浅草今川戸に住む今弘法という僧が、この地に浴場を建て薬湯の治療をしたからともいわれますが、おそらくは上記の仙人伝説があったところに、後世の人間が霊験あらたかな弘法大師・空海を付会させたものと思われます。
▲この石碑がどのような経緯で建てられたかはわかりませんが、明治19年8月21日に設置された模様です。
▲施主は「石屋勝五郎」さんでしょうか?
▲ちなみに石碑の上にはお賽銭と思われる1円玉が。
さて、この近辺にはもうひとつ、仙人にゆかりのある「鉢山」という地があるとのこと。手ごろなスポットとして、ここから徒歩10分強ほどの鉢山公園を目的に定めて、行ってみることに。
▲仙人ならばビルの合間をぬって、またはその上空を飛んで一気にたどり着いたのかもしれませんが、もとより一介の俗物にすぎない記者は、地上を歩いての移動。
▲というか、大通りを渡るために地上どころか地下にもぐるはめに。
▲通って来たのは「南平台横断地下歩道」でした。
▲鉢山公園は、ちょっと奥まった所にあるのでわかりにくいかもしれませんが、記者が辿った経路でいえば、通りに入ると見えてくる自動販売機とレンガ造りの壁が目印になるかも。
▲さあ、ここが鉢山公園です。
▲住宅街が密集する場所にあり、あまり広くはありませんが、ちょっとした遊具があります。
▲公園の奥には、なにやら自然への優しさに満ちあふれたメッセージもありました。
しかし、残念ながら仙人に関する事物は何も見つからず。
やはり江戸時代の文献に記述された「鉢山」の地名の由来を見ると、こちらは法道仙人なる者の鉢が飛来した地であるとのこと。
ここで思い出していただきたいのが、神泉に関して紹介した仙人の名前。「空鉢」または「享鉢」です。この名前には「鉢」の字が含まれていますよね。このことから江戸時代の書誌で別々の項で紹介される神泉と鉢山の話はひとつながりで、空(享)鉢仙人=法道仙人であるという、なかなか穿った説もあります。たしかに、距離も近い2つの場所の伝説が仙人にまつわるものであり、さらに一方は登場人物、他方は地名ながらも「鉢」という共通の字があるというのは、偶然の一致にしては少々できすぎている感があります。
真相はわかりませんが、いにしえの時代、この地にむかって鉢が飛んで来たことがあったのかもしれません。そして、その方角を見やると、あるいはそこには神泉の地が・・・。
【参考文献】
『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11、名著出版、1978)
『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド、学生社、1992)
『渋谷のむかし話』(渋谷区教育委員会、1999)
『渋谷学叢書1 渋谷をくらすー渋谷民俗誌のこころみ』(國學院大學 研究開発センター渋谷学研究会、 雄山閣、 2010)
イト・タクヤ
フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。