「金王坂」は、宮益坂と坂上で交わっている坂です。渋谷警察署が見える方向に下っていく坂でもあります。宮益坂のケヤキにたいして、こちらの街路樹はイチョウのようです。

坂上で標柱を発見。昭和3年から41年（1928～1966）まで「金王」という町名があり、昭和54年（1979）にその由緒ある名前を残すため、旧金王町域にあったこの坂が「金王坂」と命名されたようです。この石碑は旧金王町域に属した各町会が建てたもの。

ここで「金王」という名前にちなんで、渋谷の英雄「金王丸」を紹介したいと思います。

渋谷金王丸常光は、永治元年（1141）生まれで、このあたりを治めていた領主・渋谷重家の子です。なんでも、子宝にめぐまれなかった重家夫妻が八幡宮に祈願したところ、金剛夜叉明王のお告げを授かり男子が産まれたので、「金剛夜叉明王」の上下2文字をとって「金王丸」と名づけられたとのこと。17歳の時、源氏の棟梁である源義朝に従い、保元の乱で活躍して平清盛に敗北を喫した平治の乱後には、主君の義朝が尾張の野間で非業の死を遂げたことを常盤御前（源義経の母親）に報告して出家します。このときから金王丸は「土佐坊昌俊」と名乗ります。源頼朝が挙兵した際には、渋谷氏をその味方につけたといいます。そして、義経が平氏政権を倒し源頼朝と仲違いした後の文治元年（1185）、頼朝の命により京の都の義経を討ちに行き、逆に返り討ちに遭ってしまいます。

この事件は『平家物語』にも書かれていて、のちに幸若舞曲『堀河夜討』の題材になります。それ以外にも江戸時代になると、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎、義太夫などの芸能・文芸作品、はては錦絵などの美術作品まで、金王丸を題材としたさまざまな作品が作られ、全国各地にも「渋谷金王丸」伝説が広く流布するようになったとのことです。

以前、道玄坂（道玄坂1）（道玄坂2）と宮益坂（宮益坂1）（宮益坂2）で記事で書きましたが、江戸時代までの渋谷はへんぴな場所であり、ひょっとしたら地名としての「渋谷」よりも、人名の「渋谷金王丸」の方が有名だったかもしれません。

さて、坂道を下っていくと、大きな教会があります。「日本キリスト教団渋谷教会」です。これだけ大きな建物とそれに比例した大きな十字架を見ると、何やら敬虔な気分になってきます。

坂下には渋谷クロスタワービルがあります。このビルは高さ131メートルで、渋谷で100メートル以上の高さを持つ最初の建物だったそうです。長く渋谷のランドマークとして知られてきました。

そのクロスタワービル前には、かの有名なミュージシャン、尾崎豊のレリーフがあります。尾崎豊がここから夕陽を眺めていたそうで、三回忌の法要にあわせて、このモニュメントが設置されたとのことです。

ここには数多くのメッセージが寄せられており、モニュメントには収まりきらず、壁や欄干にまで書かれています。尾崎豊が今なお多くの人々に慕われていることを偲ばせますね。

一言から長文まで、実にさまざま。散歩で疲れた足を休めながら読んでみるのもいいかもしれません。

首都高速3号渋谷線の下をくぐる形で通りを渡ると、坂上から見えた渋谷警察署があります。江戸時代の地誌によると、かつて金王丸の産湯に使われた湧き水があり、一説によるとこの警察署が建っているあたりだといいます。また「金王丸駒冷池」なるものも、かつて渋谷の地にあったといいます。おそらく名前から、金王丸が乗り回した馬の体を冷やして労ったという伝説のようですが、所在地はやはり不明です。

こうした金王丸伝説に思いを馳せ、その舞台を探しながらシブヤの街を散歩してみるのもおもしろいと思います。

イト・タクヤ

フリーライター。歴史、神社・仏閣めぐりが好き。基本は部屋に引きこもり、たまに渋谷区内を徘徊。「普段は渋谷の街を歩くことのないシブヤ初心者」として、常にフレッシュな視点からの執筆を心掛けている。というか、事実そうなので、そういう文章しか書けないというのがホンネ。シブヤ散歩新聞では、シブヤ坂散歩をはじめ、渋谷の街の歴史や文化等にまつわる記事を担当している。