うららか、という言葉がぴったりの季節になりましたね。慣れたはずの口元のマスクがなんだか邪魔になってきたなと感じて、あ、冬の間はマスクは防寒具のひとつだったのだ、と気がつきました。
今回の渋谷散歩新聞は久しぶりの代々木公園朝散歩です。到着したのは朝8時半。前日の雨のおかげですっきり澄んだ空気の中、桜は散ってしまっていないかとドキドキしながら門を通り過ぎると・・・。
春の色いっぱいの公園内、人はまばらな朝でした
代々木八幡駅から小さな踏切の横を通って西門に入ると、坂の上の桜が出迎えてくれました。幾人か、立ち止まって桜を無言で見上げています。快晴の、雲ひとつない青空が背景になって、息を呑む美しさでした。
桜の種類はソメイヨシノ。調べてみたところによると、代々木公園にはソメイヨシノのほかにも、カワヅザクラ、ヤマザクラ、サトザクラ、オオシマザクラなどがあり、なんとその数は700本にもなるそうです。そんなにいろんな桜があるのか・・と、それぞれの見分けかたが気になった方は『気象予報士会埼玉支部主催 平成15年桜開花調査』というホームページをご覧になってみてください。とても詳しい解説がありました。ポイントは、①開花のタイミングでは葉が出ていないこと、②樹皮に横向きの筋が入っていること、③花弁が淡紅色で、直径約4cmであること、などのようです。どうやら西門近くの桜はソメイヨシノで間違いなさそうでした。
立ち入り禁止のユートピア
ソメイヨシノの下を通って中央広場へ向かうと、そこには「立ち入り禁止」の看板が立っていました。多くの公園と同様、代々木公園も、感染症対策で長時間の滞在につながる形のお花見ができないように広場を閉鎖しているのでした。残念だな・・と思うと同時に、都会の中に現れた静かな無人の空間が、まるで異世界であるかのような不思議な空気を帯びているように感じました。遠くに見える中央広場の桜も、なんだかのんびり穏やかに春の日差しを楽しんでいるように見えました。
オレンジ色のシートがなんだか無粋に思えてしまうのはわたしだけでしょうか。せめて緑か黒だったらなあ・・なんて、どうしようもない呟きとともに、こうでもしないと制限できないほどの日本人のお花見への執着も、本当に面白い文化・習慣だなあと思いました。
桜の「色」を探してみる
さて、中央広場に入れなかったことで、ゆっくりシートを広げてのお花見は諦めたのですが、せっかくなので遊歩道周辺の桜に近づいて観察をしてみることにしました。直前に桜の種類を調べていたので、花弁の大きさや色が気になります。そういえば「桜色」って、どの桜の色を基準にしているのでしょう?
『日本の伝統色 The Traditional Colors of Japan』という本をもとに作られたサイトでは、桜色は淡い色で、まさにソメイヨシノを表す色なのではないかなと思うのですが(桜色(クリックしてみてください))、桜色という言葉が使われ始めた時代にはヤマザクラを桜という言葉で表していたそうです。桜色を参照した上記のサイトには、ほかにも「桜」という字の入る色がいくつかありました。「桜鼠」「灰桜」など、様々な色に桜を投影した日本人の、桜への愛を感じます。さらに調べていくと、日本の色の歴史は飛鳥時代にまで遡ることができるらしく、四季折々の美しさを染色という技法で再現しようとした過去の人々に、お花見を愛する現代のわたしたちとの共通点を見た気がしました。
文化と身体はつながっている
桜の時期の代々木公園は春の色に溢れていました。桜だけでなく、萌える若葉の色、空の抜けるような青、昨晩の雨を湛えた黒い土。日本の色を紐解く中で考えたのは、わたしたちの色の識別能力の繊細さです。ヒトという種の眼球の構造は文化の影響を受けませんが、目で受け取った情報を処理する脳の色認識には、言語という文化が深く関わっていることがわかっています。日本語は、基本の色を11以上に分割している数少ない言語の一つなのだそうです(今井むつみ『色の認識は客観的か 〜色のことばと色の知覚〜』、日本歯科医師会雑誌、2014)。つまり、文化の一部である「色を表す言葉」が、わたしたちの「脳による認識」を変化させているということです。
四季折々の草花を愛でる文化が、わたしたちの脳の機能にまで関わっていると思うと、今日もまた一歩外に出て、自然を散策してみたくなりませんか。
得原藍(えはら・あい)
理学療法士/一般社団法人 School of Movement ディレクター。
子育てしながら運動科学の専門家として、身体と環境と生活の関係を考える日々を送る。
たのしいマイニチのために人生編集中。
TEXT aiehara’s web