渋谷レジェンド散歩とは
渋谷の街で、数十年。人々に愛され続けた歴史を誇るお店や会社をご紹介するのが、「渋谷レジェンド散歩」です。渋谷といえば「若者の街」といわれますが、実は、長きにわたって活躍している人や商品、サービスがたくさんあります。そんな渋谷の意外性ある魅力をお届けしていきます。
渋谷で大人が集う街といえば「道玄坂」。今回ご紹介する花菱さんは、道玄坂で長い間のれんを守り続けるうなぎの名店です。
戦前から現在に至るまで多くの花菱ファンのひとりに、歌人の斎藤茂吉がいます。国語の教科書に今も載っている近代短歌のレジェンドです。
斎藤茂吉には花菱を詠みこんだ作品があります。
「あたたかき鰻を食ひて帰りくる道玄坂に月おし照れり」(斎藤茂吉)
ご馳走でお腹いっぱいになり、散歩しながら帰ったのでしょうか。満ち足りた気分が伝わってきますね。
レジェンドが愛した名店の味をぜひ一度味わってみたい!と、渋谷散歩新聞の界外編集長と一緒におじゃましました。
道玄坂に三代続くうなぎの名店
道玄坂上と道玄坂下のちょうど中ほど、坂に面して立ち並ぶビルの一角に、花菱の看板を見つけました。
のれんをくぐるとそこは落ち着いた和の空間。外の喧騒が嘘のように静かな店内は、いかにも大人のお店といった雰囲気です。今からここでうなぎをいただけると思うと、気分が高揚してきます。
職人技を見せていただきました
ご厚意で、特別に調理場を見せていただけることになりました。
花菱のうなぎは、「たれをつける」「焼く」を2度繰り返し、最後にもう一度「たれをつける」で仕上げるのだそうです。
コンロの横に置かれた壺に、さっとうなぎをくぐらせる職人の小暮さん。
そのまま流れるような仕草でコンロに置いていきます。
コンロに置かれた瞬間に立ち上る、香ばしい匂いがたまりません!これこれ、この香り!これぞうなぎの醍醐味です。写真から想像していただけるでしょうか?
焼かれていたのはわずか数十秒ほどで、うなぎたちは再びタレに浸かり、コンロの上に並びます。またいい香りがしてきました!ぱんぱんとリズミカルに仰ぐ仕草も実に格好が良いものですね。
小暮さんの動きに見とれていると、界外編集長はあることが気になったようです。
「一度目と二度目でうなぎを置く位置が違ってましたが、何か理由があるんですか?」
「火の通り加減を見ながら、置く場所を調整しています。このコンロは真ん中が高温なんです」
と教えていただきました。
見たことのない変わった形のコンロは、強火で煙が出にくい、魚専用のコンロだとのこと。また、お馴染みの団扇で仰ぐ仕草も、熱を均一に行き渡らせるためなのだそうです。短時間で満遍なく、確実に火を入れる工夫が凝らされていることがわかります。
お重の中に詰められていくうなぎたち。一足先に席で待つことにしましょう。楽しみだなあ!
斎藤茂吉も愛した上品な味わいにうっとり
さて!お待ちかねの鰻重が到着しました。
お重のふたを開ける時って、他の料理にはないワクワク感がありますね。
じゃーん!!
蓋をあけたとたん、あの香ばしいいい匂いがふわっと漂います。
さっき焼き場でタレに浸かったり火にあぶられたりしていたうなぎが、つやつやに光ってお重の中に。また会えたね・・・!!
まずはうなぎだけで一口いただきます。ふわふわっとした食感のうなぎに、あっさりしたタレがよく絡んでいます。うなぎ自体の味わいも楽しみつつ、タレの甘さも楽しめる絶妙な塩梅です。
「上品であっさりしてるけど、タレの味はしっかり効いてる。お米のかたさもちょうどいいね」と編集長。確かに、お米のかたさってお重や丼もののおいしさを左右しますね。
うなぎだけ口に入れてからすかさずご飯の白いところを。次はうなぎとご飯をいっぺんに。いろんな楽しみ方ができるのも鰻重の魅力。しばらく無心で味わいます。
メニューには、うまきやうざくといった一品料理も。うまきの卵が甘いのが花菱流。やわらかな甘さにほっとします。
大井川の伏流水が育んだ「幻のうなぎ」
花菱のうなぎはすべて国産の「厳選うなぎ」。また、「幻のうなぎ」とも言われる大井川の「共水うなぎ」を扱っている、数少ない店舗のうちのひとつでもあります。
共水うなぎとは、(株)共水の手がける養殖鰻のブランドです。井戸から汲み上げた大井川の伏流水で天然のウナギが育つのと同じ時間をかけてじっくり育てた結果、天然ものにも勝る品質になるのだそうです。
共水うなぎがいただけるのは全国で40数軒ほど。まさに「幻のうなぎ」なんですね。聞けば、取扱店舗になるための審査があるのだとか。
花菱の三代目当主、阿部さんに教えていただきました。
阿部さん:社長さんが自ら来店して、店舗や調理場の様子、調理や提供のしかたなどを厳しくチェックします。審査を通った店だけが取扱いできるんです。
一方、花菱にも、老舗だからこそのこだわりがあります。
阿部さん:時代を経ても変わらない花菱の味を提供し続けるためには、うなぎの質を保たなくてはいけません。でもそれは、これだけ時代や環境が変わる中ではなかなか難しいことです。
共水さんと出会ったのは15年ほど前です。うなぎを送ってもらって試食したり、池(養鰻池)にも行きました。共水さんの池の井戸からは、きれいな水がものすごい勢いで上がってくるんです。どんな風に育てているのかといったお話も伺い、ぜひお願いしたいと思いました。
花菱で使ううなぎは、「共水うなぎ」以外もすべて国産。九州から愛知にかけて厳選されたうなぎを共水さんから送ってもらっているのだそうです。
時間をかけて大切に育てているからこそ妥協したくない共水さん。大切なお客様だからこそ質の高いものを提供したい花菱さん。立場は違えど、うなぎへの思いは共通しています。
ニホンウナギは、2014年に「近い将来、野生での絶滅の危険性が高い」とされる「絶滅危惧1B種」として国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに掲載されました。
阿部さん:今、完全養殖化の実現をめざし、業界全体で動いています。それと同時に、大事に育て、大事に提供するという基本的なことがこれまで以上に必要になっています。たくさん仕入れて廃棄するようなことはできません。大事に召し上がっていただけるお客様に、丁寧な仕事で提供することを心がけています。
共水うなぎは完全予約制です。
「3日前には予約をお願いいたします。生育状況によってはご提供できない場合もあるので、お電話でお問い合わせください。」と阿部さん。
前もって予約して、当日を楽しみに待つ。そんな風に丁寧に食と向き合う体験も、考えてみればぜいたくなことかもしれません。とっておきの日に、ぜひ味わいたい一品です。
【店舗情報】
花菱
住所/渋谷区道玄坂2-16-7
TEL/03-3461-2622
営業時間/11:30~15:00 (L.O.14:00)、17:00~22:00(L.O.21:00)
定休日/日曜日、祝日
https://www.hanabishi.tokyo/
八田吏(はった・つかさ)
ライター。
NPO法人で、産後の社会問題に関する調査研究に携わる。個人活動として短歌の会を隔月で開催。自宅から一番近い繁華街が渋谷なので、映画に行くのも友達とのお茶も、本や洋服などの買い物も、だいたい渋谷区内で完結しています。